「利益が800万円を超えたら法人化」。よく聞く目安ですが、この数字だけで判断すると外すことがあります。法人化の損得は、税率だけでなく、社会保険・消費税・役員報酬の設計・信用力まで含めた総合判断だからです。
ここでは、個人事業のまま続けるか法人化するかを、どういう順序で考えればよいかを整理します。
「所得800万円」は目安であって基準ではない
この目安が生まれた理由は単純で、個人の所得税が累進課税なのに対し、法人税がほぼ定率だからです。所得が増えるほど個人の税率は上がっていき、どこかで法人の税率を追い越します。その交差点がおおむねこのあたり、という話にすぎません。
ただし実際には、家族構成・扶養・社会保険料・専従者給与・事業の設備投資額によって交差点は前後に大きく動きます。同じ利益800万円でも、法人化が有利な方と不利な方がいます。
税率だけで見た場合の分岐点
個人の税率
所得税は課税所得に応じて5%〜45%の7段階、これに住民税が原則10%、さらに事業所得には事業税(業種により3〜5%)が加わります。課税所得が900万円を超えると所得税33%+住民税10%で合計43%の水準に入ります。
法人の税率
資本金1億円以下の中小法人には、年800万円以下の所得部分について15%の軽減税率が適用されます(2027年3月31日までに開始する事業年度まで延長。ただし当期の所得金額が年10億円を超える事業年度は17%、また前3事業年度の平均所得が年15億円を超える「適用除外事業者」は対象外)。800万円超の部分は23.2%です。
これに地方法人税・法人住民税・法人事業税を合わせた実効税率で見ると、中小法人でおおむね25〜34%程度のレンジに収まります。
ここで比較すべきは「事業の利益」ではなく「課税所得」です。個人事業では青色申告特別控除65万円、基礎控除、社会保険料控除などを差し引いた後の金額が課税所得になります。売上や粗利で判断すると誤ります。
法人化で本当に効くのは、税率以外の3つ
1. 役員報酬による所得の分散
個人事業では、事業の利益がそのまま事業主の所得になります。法人化すると、利益を役員報酬(個人の所得)と法人に残す利益に分けられるようになります。
役員報酬は法人側で損金になり、受け取る個人側では給与所得控除が使えます。この給与所得控除が実質的な経費として働くため、同じ手取りでも課税所得を圧縮できます。さらに、配偶者や親族が実際に業務に従事しているなら、役員・従業員として報酬を分散させることで、累進税率の高い部分を避けられます。
ただし役員報酬は原則として期首から3か月以内に決めて、1年間同額でなければ損金になりません(定期同額給与)。「儲かったから期末に増やす」ができない点は、法人化前に理解しておく必要があります。
2. 欠損金の繰越期間
赤字を将来の黒字と相殺できる繰越期間は、個人事業(青色申告)が3年、法人が10年です。初期投資が大きく数年間赤字が続くタイプの事業では、この差が大きく効きます。
3. 信用力
取引先によっては法人としか契約しない、という運用があります。金融機関からの調達、人材採用、事務所の賃貸——いずれも法人のほうが進めやすい場面は実際に存在します。数字に表れにくいものの、事業を伸ばす意図があるなら無視できません。
法人化のコストとデメリット
| 設立費用 | 株式会社で登録免許税等おおむね20万円台、合同会社で10万円前後 |
|---|---|
| 法人住民税均等割 | 赤字でも年間およそ7万円〜(自治体・資本金・従業員数による) |
| 社会保険 | 役員1人でも加入必須。保険料は労使折半だが、法人負担分が新たに発生 |
| 決算・申告 | 個人の確定申告より複雑。税理士報酬も個人事業より高くなるのが一般的 |
| 資金の私的流用 | できない。法人のお金と個人のお金は明確に分離される |
とくに見落とされがちなのが社会保険です。国民健康保険・国民年金から厚生年金・健康保険に移ることで、将来の年金額は増えますが、目先の負担は増えるケースが多くあります。役員報酬の設定額次第で保険料が大きく変わるため、税額とセットでシミュレーションすべき部分です。
消費税から考えるタイミング
従来、法人化には「新設法人は原則として設立から2期、消費税の納税義務が免除される」という強いメリットがありました(資本金1,000万円未満であること、特定期間の判定に該当しないことなど条件あり)。
ただしインボイス制度の下では、事業者間取引が中心なら適格請求書発行事業者として登録せざるを得ない場面が多く、登録すれば免税事業者ではいられません。この免税メリットは、BtoBの事業では実質的に小さくなっています。
一方、消費者向け(BtoC)の事業や、免税事業者の取引先が多い事業では、免税期間の価値は今も残ります。
インボイス登録にともなう納税額の負担軽減措置である「2割特例」は、2026年9月30日を含む課税期間をもって終了します。個人事業者については2027年・2028年に含まれる課税期間を対象とする経過措置(いわゆる3割特例)が設けられていますが、法人には同様の措置がありません。法人化の時期を検討している方は、消費税の負担がどの課税期間からどう変わるかを必ず確認してください。
最初から法人にすべきケース
次のいずれかに当てはまるなら、個人事業を経由せず最初から法人で始めることを検討する価値があります。
- 取引先が法人格を求める——大手企業や官公庁との取引を前提とする事業
- 共同創業者がいる——出資比率と意思決定のルールを最初に定めておくべきです。個人事業では持分の概念が作れません
- 外部からの資金調達を予定している——出資を受けるには株式会社である必要があります
- 初年度から相当の利益が見込める——前職からの顧客を引き継ぐケースなど
- 許認可の要件になっている——業種によっては法人であることが条件です
逆に、売上規模がまだ読めない、副業から徐々に立ち上げる、という段階であれば、個人事業で始めて後から法人化するほうが身軽です。
判断の手順
- 直近および翌期の課税所得を見積もる——売上ではなく、控除後の課税所得で考えます
- 法人化した場合の役員報酬額を仮置きする——ここが決まらないと税額も社会保険料も出ません
- 税・社会保険を合算して比較する——所得税+住民税+事業税+国民健康保険 vs 法人税等+役員報酬にかかる所得税等+社会保険料
- 消費税の課税期間を確認する——インボイス登録の有無、2割特例の残存期間
- 設立コストと毎年の固定費を引く——均等割、税理士報酬の差額
この5つを一度きちんと数字にすれば、「なんとなく800万円」ではない答えが出ます。決算期の設定や役員報酬の決め方など、あとから変えにくい部分も同時に設計する必要があるため、法人化の検討は設立の3〜6か月前から始めるのが理想的です。